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差別・偏見

吃音症の客をバカにしたスタバ店員が解雇された出来事に思うこと

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事の始まりはスタバ店員が吃音の話し方を真似をしたこと

Yahoo!ニュース【AFP=時事 2018/7/7】で吃音に関するニュースが出ていたので紹介します。アメリカのスターバックスでの出来事。

記事によると、サムという名前の客が、ペンシルベニア州フィラデルフィアにあるスターバックスで飲み物を注文する際に自分の名前をどもった。すると店員は「オーケー、サ、サ、サ、サム」と返答し、サムさんが受け取ったアイスコーヒーのカップの名前にも「サササム(SSSAM)」と記載されていたという。

この一連の出来事を、サムさんの友人がフェイスブックに投稿したことで公になり、スターバックスが批判にさらされ、店員が解雇されたという話です。

真似されるのは吃音あるあるのひとつ

吃音の人であれば、話し方を真似された経験が一度や二度はあると思います。私も名前こそ書かれたことはありませんが、話し方を真似されたことはあります。学校の先生に。しかもよりによって母親がいる事業参観の授業で。

真似された瞬間、恥ずかしさと悔しさで頭が真っ白になり、ただただショックで深く傷つきました。自分が最も気にしていること。最も隠したいこと。最も触れて欲しくないことに触れられ、しかもそれを大勢の前でさらされたことがとてもショックで、30年以上たった今でもあの時のことは忘れられません。ただし今振り返ると、それは仕方がない事だったのかなと理解しています。

例えば車椅子を使っている人であれば、足が不自由なことは誰でも理解できますが、吃音は見た目では分からないし、行動がおかしいといった事もなければ、運動や勉強も人並にできます。見た目で分からない障害は、障害であることが伝わらないし、それゆえ理解が広がらないのは仕方がない事だと思います。

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何事も伝えなければ伝わらない

私は人と話をするとき、話が伝わるようにできるだけスムーズに話すことを心掛けていますが、話しにくい言葉はどうにもならないので、最近は無理して吃音を隠すことをやめました。どもる時は相手が引くくらい酷くどもることもありますが、そこは開き直ってあえてどもる自分を見せています。

その理由は、私自身が年齢を重ねたことで、どもっても笑われなくなったこともありますが、どもる自分を見せることで吃音を知って欲しいという思いも、積極的に吃音を隠さなくなった理由の一つです。

真似されたり、笑われたり、いじめられたりする原因は、吃音は障害であるという理解不足。そして吃音の原因は本人にはなく、本人の努力だけでは改善しにくいという吃音の正しい理解が広がっていないからだと思います。

そこで理解を広げるためには、吃音者が日常生活を送る中で何に困っているのか。どのようなことが生きずらさになっているのかを、私のような吃音当事者が声を上げることも大切だと考えています。

批判よりも吃音の理解を広げる

今回の話題はアメリカにあるスターバックスでの出来事でしたが、日本でもありうる話です。私も以前、ファミレスの店員から露骨に変な目で見られたことがありましたし、表ざたにならないだけで、吃音者に対する偏見や嫌がらせはどこかで起きていることでしょう。しかしだからと言ってその個人を単に批判しただけでは問題の解決にはなりません。

吃音とは何かを正しく伝えること。そして、世の中には様々な人が居て、その違いを認め合う価値観を広げることが、吃音の理解を広げるために必要な行動だと思います。

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私の吃音遍歴

からかわれ、笑われ、真似される | 中学生時代の吃音遍歴

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自己紹介に明け暮れた入学直後

中学校へ入学すると他の小学校の卒業生と一緒になるので、クラスの半分以上が知らない人になります。私の吃音を知らない人ばかりになるので、上手くやっていけるか入学前から不安でした。入学すると、まずはクラスの中で自己紹介。教科ごとに先生が変わるので、各教科の最初の授業で自己紹介。クラブ活動が始まるのでそこでも自己紹介と、学校生活が始まって二週間くらいは、ひたすら自己紹介に明け暮れた記憶があります。上手く話せたのか、今となっては確かな記憶はありませんが、毎日緊張してドキドキしながら過ごしたことが想像できます。中学校は毎年クラス替えがあったので、四月の授業始めは自己紹介が続きます。なので四月が一年で最も憂鬱な季節でした。

中学校生活は希望していた部活に入って楽しく活動できたし、今でも付き合いがある友達と出会えるなど、楽しい三年間を過ごすことができました。ただし今でも忘れることができない、中学校時代に起きた吃音の黒歴史について振り返ってみようと思います。

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メロディーに乗せられた吃音

小学校時代は無声型だった私の吃音は、中学校へ入学してから突如として連声型へ変わりました。連声型へ変わったことで、同じ音をずっと繰り返すようになりました。例えば「僕は」を言おうとすると声の出し始めが、

ぼぼぼぼぼぼ、ぼっぼっぼっ、ぼーぼーくは

のような状況でした。相変わらず国語の授業では、教科書をスムーズに読み進めることができません。声を無理やり出そうとするので、舌打ちするように口を鳴らすようになり、おまけに声を出そうとするあまり息が続かず苦しくなり、ハーハーと周囲に聞こえるほど荒い息使いをするようになっていました。こんな姿が中学生男子にとって面白くない訳がありません。格好のからかわれる対象になりました。

後ろから蹴られて真似されていることに気が付く

中学校では合唱が盛んでした。各クラスごとに合唱曲があって朝礼や終礼、音楽の授業で合唱の練習を行っていました。あるとき数人の男子が伴奏のメロディーに合わせて、

♪チェッ、チェッ、ハッ、ハッ、チェッ、チェッ、ハ~♪

と歌いだしました。何を言っているのか私は分かりませんでしたが、その後も練習でピアノの伴奏が始まるとその歌詞が聞こえてくるのです。しかも徐々に歌う人数が増えてくる。意味は分かりませんでしたが、何となく嫌な予感はしていました。そしてある日、同じように伴奏が始まって、例の歌詞がうたわれ始めたときに、前列に立っていた私は後ろからクスクス笑われながら蹴られたのです。この時、私の吃音が真似されていたんだと理解しました。それからしばらく「吃音モノマネ」は続き、その度にうまく言い表せない嫌な思いと、辛くてその場から逃げ出したい気持ちでいっぱいでした。

やがてトイレに連れていかれ・・・

相変わらず教科書の音読では酷くどもっていましたが、普段の会話はわりとスムーズに話せていたので、仲のいい友達とは元気よく話していたり、わりとはっきり意見を述べる性格だったので、そんな私の姿を快く思っていない男子がいました。授業中、先生が見ていないところでちょっかいを出してきたり、偶然を装って体当たりされて突き飛ばされたり。

そんなある日、普段から私にちょっかいを出していた男子にトイレへ連れていかれました。いつかこうなるとは思っていましたが怖かったです。まず眼鏡を取り上げられ、すぐに殴る蹴るの暴行が始まりました。相手は二人だったので私はなすすべがありませんでした。ただし放課後の早い時間で、教室の隣がトイレだったこともあり、他にも同じクラスの男子が大勢トイレ内にいました。一部始終を目撃していた友達から「やめろ!」の声がかかったこともあり、すぐに終わりました。気にかけて肩を抱いてトイレから出してくれた友達もいました。

そんな出来事がきっかけだったのか分かりませんが、伴奏に合わせて吃音を真似されることはなくなり、また吃音をからかわれることもなくなりました。しかし、このことをきっかけに吃音である自分が本当に嫌になったし、本気で生きることを止めようと思いました。結果的にその勇気もなく今に至っていますが、この出来事は30年近く経った今でも鮮明に覚えていて、忘れることができません。私の吃音人生で最も辛い時期であり辛い出来事でした。

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人前で吃音を笑われる辛さ

歌に乗せた「吃音モノマネ」が流行ったのは一年生の頃でしたが、その事件以降吃音をからかわれたり、笑われたり、真似されることはありませんでした。私はおとなしい性格ではありましたが、全くの引っ込み思案ではなかったので、いじめ難かったということもあるかもしれません。ただ辛かったのは、教室内が盛り上がっているのに、私が立ち上がって話を始めると、水を打ったように静まり返り、みんな息をひそめて私が話終えるのをじっと待ち、私が話終わって椅子に座るとまた教室内がワーっと盛り上がる状況が幾度となくありました。みんな私の吃音にどのような反応を示せばいいのか分からず、ひたすら私が話し終わるのを待つしかなかったのだと思います。そんな空気を作り出してしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

普段、吃音の症状がでても笑われることは無かったのですが、三年生の時に一度だけ教室内が静まるなか、誰が笑ったのか分かるほどクスクスと笑い声が聞こえ、その笑い声にとてもショックを受けました。

一人の女子が後ろの方でクスクス笑っただけで、それ以上のことが起きたわけではないのですが、なぜかその時に大きな衝撃を受けて、恥ずかしさで頭の中が真っ白になりました。この時から女性と話をすることが怖くなり、女性を前にすると、また笑われるのではないかという恐怖心を強く抱くようになりました。学生時代にファミレスで女性店員さんへ注文したいメニューを上手く伝えることができず、あからさまに気持ち悪われ拒否的な扱いをされたこともありました。女性と話せるようになったのは、30代が始まるころでしょうか。それまではとにかく女性が怖かったです。

中学校を卒業して既に25年以上が経ち、様々な記憶があやふやになりつつあるなか、モノマネされてトイレに連れていかれた出来事と、女子に笑われた出来事は、いまだに忘れることなく記憶に深く刻まれています。

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私の吃音遍歴

吃音を理解してくれた担任の先生との出会い | 小学生時代の吃音遍歴

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吃音を治したい。吃音を意識し始めた小学生のころ

吃音は、話す言葉が決まっているとどもりが酷くなりますが、話しにくい言葉(単語)を避けて、発音しやすい言葉を選べる日常会話は、割とスムーズに話すことができます。そんなこともあり友達とは割とスムーズに話ができたので、小学校入学後は幸いにも友達を沢山作ることができました。ただし小学校へ入学すると、人前で意見を述べたり、教科書を読んだり、否が応でも自分の吃音を強く意識する場面が増えます。声がスムーズに出ないと肉体的に辛く、また周囲の反応も気になりだすので精神的にも辛く、吃音であることが恥ずかしい。だから吃音を隠したい。そして吃音を治したいという願いが、学年が一つ上がるたびに強くなっていきました。

学校生活最大の恐怖は国語の授業

吃音には主に、最初の言葉を繰り返してしまう連声型と、最初の一言目が出なかったり、一言目以降続かない無声型がありますが、私の小学校時代は基本的に無声型でした。普段は割と普通に話せるのに、人前に立つと話せなくなるので、クラスの友達は私が緊張して話せないのだと思っていたかもしれません。

緊張しないでゆっくり話せば大丈夫だよ。

女子からそんなアドバイスを受けたことが何度かありました。確かに人前に立つと緊張します。しかし緊張するからどもるのではなく、どもるから上手く話したいとか、恥ずかしいからどもりを隠したい。そして失敗したくないというプレッシャーが自分をより緊張させて吃音を酷くしていました。中でも特に緊張する時間が国語の授業でした。

教科書を読まされるんじゃないか。

そんな「恐怖」に怯えながら国語の授業中は、ひたすら自分の名前が呼ばれないことを祈っていました。

国語の授業は自分の恥ずかしい部分をさらす辛い時間

国語の授業が始まると、いや、前の授業の終わりのチャイムが鳴ると、一気に緊張感が高まり心拍数も急上昇していました。いざ授業が始まると、教科書を読まされることがないように、ドキドキしながら祈り続けるしかありません。教科書を読むのは、日付と同じ出席番号の人だったりするので、自分の出席番号と日付が同じ日に国語の授業があると、登校する前から緊張していてドキドキしていました。軽い運動を休みなく何時間も続けている感じです。

今日は〇日だから、出席番号〇番の男子読んで!

案の定、恐れていたことが起こるとドキドキはピークに達っし、まるで全速力で走っているかのようです。怖くて教科書を持つ手に力が入らないし、足は小刻みに震えていました。いざ読み始めようとすのですが、最初の一文字目から声にして出せない。ようやく声になって読み進められそうになっても、次の漢字の手前で再び声が出なくなるので、読み進めることができません。

漢字は読める。でも声にならない。このままでは先生のフォローが入る。周囲からは、きっと漢字が読めないんじゃないかと思われる・・・。

そんなプレッシャーで焦り始めると、やはり先生のフォローが入り、漢字の読みを教えてくれます。それでも数秒の間が空き、何とか声になって読み進めるのですが、すぐに次の漢字で引っかかる。

他の友達だったら数十秒で読み終えるたった2~3行を、私は2分も3分も掛かって読んでいました。あまりに時間がかかるので、教室内が少しざわめきだすと、先生から「静かに!」と声が掛かるのですが、そんな状況が恥ずかしくて、更に大きなプレッシャーとなりました。

何とかひと段落を読み終え、次に読む人の名前が呼ばれて私は椅子に座るのですが、手も足も震えてるし体は汗だく。周囲に漂う微妙な空気が恥ずかしくて、教科書を読み終えるたびに、逃げ出したい気分でした。しかしそんな私に対して友達は、読み終わった直後でも何事もなかったかのように接してくれました。それがとてもありがたくもあり、恥ずかしくもありました。

こうして授業の終わりを告げるチャイムが鳴ると、一気に解放感に包まれました。受験のテストが終わった時の解放感に似ているかもしれません。そんな状況が学生時代まで、毎日のように続いたのでした。

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初めて吃音に向き合えた担任の先生との出来事

学年が進んでも、国語の授業での音読や日直の号令。それにクラス内で意見を述べる時など、吃音が改善する様子はありませんでした。周囲の友達や先生も私の吃音に気が付いているんだけど、その事にどうやって触れていいのか。または触れてはいけない事なのか分からず、なんとなく触れずにしておこうという雰囲気を感じていました。

どうしてそのような話し方になるのか、友達から聞かれることはなかったし、吃音について担任の先生と話すこともありませんでした。しかし唯一、6年生の時の担任の先生が私の吃音に向き合ってくれました。

あるとき、クラス全員が担任の先生と個別に面談することになり、毎日数人ずつ放課後に残って先生と面談を行う機会がありました。私も他の友達数名と放課後に残って担任の先生と面談を行いました。そこで先生から、

どうしてああいう話し方になるんだろうなぁ~?

普段は普通に話せるのにな!不思議だなぁ~。

と私の吃音について話始めたのです。私が相談を持ち掛けたのではなく、突然吃音について話始めたのでとても驚いたのですが、驚き以上に先生は私のことを見てくれて、気にかけてくれていたことがとても嬉しかったし、先生が吃音を理解してくれていることが分かったことで、

先生の前では、どもっても大丈夫。

そんな認識に変わることができました。それまで吃音について誰にも相談できずに、どうしたらいいのか分からず一人で悩んでいましたが、吃音を理解してくれる人がいることが分かっただけで、心の奥の重荷が解けて何とも言えぬ安心感がこみ上げてきました。

その後、先生は様々な場面で配慮してくださり、卒業式の卒業証書授与のさいは、

名前を呼ぶけど、返事ができなければ立ち上がるだけでいいから。

と事前に声を掛けてくれましたが、本番では良い意味で先生を裏切ることができました。

先生と吃音について語り合うまでは、どうしたら吃音を隠せるか。吃音が出ないようにするには、どうしたらいいのかばかり考えていました。しかし例えナーバスな問題であっても、避けるのではなく確り向き合い、受け入れることで、問題を解決へ導くことができることを先生は教えて下さいました。当時は気持ちが楽になったことが、とにかく嬉しかったですが、いま振り返るととても大切な生きるためのヒントを学んだように思います。

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私の吃音遍歴

覚えてるけど声が出なかった「はじめの言葉」 | 幼児期の吃音遍歴

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大人になって分かった言葉の教室へ通った理由

私が通っていた幼稚園には制服があって、毎朝、制服に着替えて近所の集合場所へ行くと先生が迎えに来て、友達と一緒に集団登園していました。しかし時々、制服に着替えてから、母親に手を引かれて通っていた場所がありました。そこは「言葉の教室」。当時は、なぜ言葉の教室へ通うのか分かっていなかったし、そもそも言葉の教室とは何なのか分かっていませんでした。そこが吃音を矯正する施設であることは、大人になってから知りました。

言葉の教室では、通っている他の友達と一緒に学ぶことはなく、先生と二人きりでゲームで遊んだり、トランポリンがあって体を動かしたりしている時は楽しい時間でした。ただし時々、絵本を読むことがあって、その時間は楽しくなかった。すでにこの頃にはどもっていて、言葉がつっかかって話しにくいことを自覚していたので、声を出して本を読むことが嫌でした。

本を読んでいる時に言葉がスムーズに出ないと、呼吸もスムーズに行えません。言葉を出そうとするあまり息を吐ききってしまい、吐ききってもなお力を入れて言葉を吐き出そうとするので、身体を小刻みに震えさせながら全身に力を入れて、苦しい思いをしながらようやく絵本を読み進めていました。

言葉の教室へは小学校三年まで通いました。ゲームをしたり本を読んだり、先生と学校生活について話をしたりする程度で、直接吃音について話すことは無かったように思います。結果的に今でも吃音が残っていることを思うと、あまり改善効果はなかったようです。吃音は呼吸法などテクニック的なことではなく、子供の性格や周囲の環境、特に子供に接する大人(親)の性格によっても改善度合いは変わってくると思います。親がネガティブ思考だと、子供もネガティブになり、結果、吃音に対しても悲観的に捉えてしまうようになるので。

言葉の教室へ通って唯一良かったことは、オセロに強くなったこと。先生とオセロを楽しむ時間が多かったので、オセロはかなり鍛えられました。

幼稚園へ遅刻するのが凄く嫌だった理由

言葉の教室が終わると、その足で幼稚園へ向かうのですが、これがとても嫌でした。幼稚園へ行くことが嫌なのではなく、先生へ遅刻した理由を伝えなければならない(話をしなければならない)ことがとても嫌でした。当然、親が遅刻する連絡を入れたはずですが、登園したら自分からも言わなければいけないことがとても嫌だったことは、いまでも印象強く残っています。

私はその後の学校生活も、社会人になってからも、遅刻だけはしないように時間に余裕をもって行動しています。それは申し訳ないけど相手のためではなく保身のため。すなわち、遅刻して連絡を入れるような事態は絶対に避けたいためです。電話するくらいなら、30分でも1時間でも早く着いて時間をつぶした方が、断然ましだからです。その考え方は今でも変わりなく、すっかり染み付いてしまっています。

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分かってる。でも話せないから怒られる理不尽

年長になってから、お遊戯会だったか音楽会だったか忘れましたが、開演前の「はじめの言葉」を友達数名と一緒に言う役を与えられ、挨拶の台詞を覚えるように言われたことがありました。どのような理由だったのか、今となっては覚えていませんが、放課後に私一人教室へ残されて、先生の前で覚えた台詞を言う挨拶の練習を行ったことがありました。台詞は頭に入っているのですが、一人で先生の前に立ち、覚えた台詞を言おうとすると、どうしても言葉が詰まってしまい、スムーズに話すことができませんでした。

なぜスムーズに話すことができないんだろう。

この時、すでに私はスムーズに話せないことを自覚していたので、覚えているのに声にして出せないことが、とても悔しかったことを覚えています。

しかしそれ以上に悔しかったのは、覚えていないのではなく、声にして言葉を出せないにも関わらず、そのことが先生に理解されず、私が台詞を覚えてこなかったと誤解されて叱られたことでした。私は台詞を覚えていました。しかし最初のフレーズが詰まってしまい声にして出せず、その後もスムーズに話せない事で「覚えていない」「覚えてこなかった」と誤解されました。その悔しさと悲しさは、40年近くたった今でも深く心に刻まれています。

スムーズに話せないことで、人から誤解されて悪い評価を受ける。だから吃音を治したい。吃音を隠したい。吃音は恥ずかしいという思いを抱くようになった原因は、このような出来事がきっかけだったのかもしれません。

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生きる目的

吃音で生きることが嫌になったら | 人生における幸せとは

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もう嫌だ!生きることをやめたい

吃音があることで笑われたり、変な目で見られたことは一度や二度ではありませんでした。子供の頃、学校で教科書を読む順番が回ってくると、立ち上がって読み始めるのですが、どもって全く読み進めることができませんでした。もし「吾輩は猫である」を読もうとすれば、たぶんこんな感じで読み始めるでしょう。

「わっ、わっ、わっ、わっっっ・・・わぁ~~わぁ~~がはいは」

「ねっ、ねっ、ねっ、ねねねね~こである」

教科書を読むと、後ろの席からクスクスと笑い声が聞こえてくるし、友達はみんな十数秒で読み終える一小節を、私は1分、2分と掛かっていました。しかも言葉が詰まるのは不思議と漢字の単語。自分では読みは分かっているのに声にして出せないでいると、先生が読みを教えてくれる。すると何とか読み進めることができるのです。だから周りの友達は

「きっと漢字が読めないんだ」と思っているに違いない。

そう思うと悔しくて、恥ずかしくて仕方がありませんでした。しかもそのようなことが毎日続くのです。特に国語の授業は教科書を読む順番が回ってこないか不安で、朝からずっと緊張していました。こんなに辛く恥ずかしいことが、これからもずっと続くのかと思うと本当に生きていることが嫌になり、何度も生きる事を止めようと思いました。吃音は、それほど辛い毎日を私にもたらしていました。

吃音の何が辛いのか

口がきけないよりいいんじゃない?

確かにその通りかもしれません。全く話ができないよりも、どもりながらでも口がきけるわけなので、前向きに捉えればその通りです。でもやっぱり吃音は辛いんですよね。何が辛いのかと言えば、やはりスムーズに話すことができないことによる恥ずかしさ。そして周囲の反応です。

吃音は病気や障害ではなく「変な人扱い」

声をまったく出すことができずに、普段から手話や筆談でコミュニケーションをとっている人であれば「話ができない」「声が出ない」ことは明らかです。そのような人を悪く言う人はいないでしょう。

ただし吃音は違います。話しやすい言葉はスムーズに話せるのですが、話しにくい言葉になると途端に言葉が詰まってしまいます。特に始めの例のような連発型吃音(ある言葉を連続して発声する吃音)が出ると変な目で見られるうえに、笑われるし、避けられるといったきつい反応を示されることもあります。

話し方の真似をされる

これが一番精神的にダメージを負います。私も何度も真似をされましたが、一番傷ついたのは中学生の頃、先生に真似をされたことです。技術家庭科の授業で、木を材料にした物は何があるか?という問いかけに答えるよう私が指名されたので「つ、つ、つ、机」と答えました。それを聞いた先生は「つつつ机」と反復したのです。これはとてもショックでした。しかもその授業は父兄参観日で、私の母親がいる前で真似をされたので、傷ついたのと同時に母親に対して申し訳ない気持ちにもなりました。

スムーズに話せないことが恥ずかしい

根本なことですが、吃音はスムーズに話せないので、そのこと自体が大変なストレスです。話したいことが話せない。伝えたいことを伝えられない。言葉が急につっかかって声が出なくなる。名前や住所、電話番号などの固有名詞が言えない。さらに今までスムーズに言うことができていた単語が言えなくなったりすると、とてもショックです。

電話で話せない

多くの吃音の方が電話が苦手とおっしゃっていますが、私も電話は全く声が出せなくなります。自分の名前をはじめ、会社であれば「お待たせしました」とか「お電話変わりました」といった台詞がどうしても声にして出せません。会社で電話をかける必要があるときは、倒れそうなほど緊張して電話をかけていました。

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吃音で生きることが嫌になる瞬間

世の中は普通に声を出せて話ができる人が大多数ですが、中には先天的だったり病気によって声を失った人が極少数いらっしゃいます。「話せる人」と「話せない人」とは明確な境界線があって、話せない人はすぐに認知されるし、社会的な配慮があります。

一方で吃音は、吃音を知っている人や理解している人は、ほとんど居ません。世の中に全くといっていいほど認知されていないので、吃音というカテゴリーが存在しません。だから吃音者は「話せない人」ではなく「話せる人」として生活しなければならず、これが吃音者が苦しむ一因になっています。「話せる人」のカテゴリーでは、話ができて当たり前なので、吃音者は

  1. 話し方が変な人
  2. 人前で話す場面ではひどく緊張する人
  3. 何を言っているのか分からない人
  4. 変な人・気持ち悪い人
  5. 話すのが遅くてイライラする人

この様な目で見られます(扱われます)。一生懸命伝えようとしているんですが、それができない、理解されないことが凄く悔しいし、追い打ちをかけるように、バカにされたり、真似をされたり、笑われたりするのでとても傷つきます。

教師にあきれ顔で笑われた挨拶訓練

高校に入学してすぐに職員室へ入室するための挨拶訓練というもの行われました。校内にいつくか職員室があり、指示された職員室の指示された先生から合格印をもらってくるというもので、私にとって地獄の訓練でした。

まず指示された職員室の入り口でドアをノックして、返事があれば入室します。そこで

「1年〇組のワタナベダイスケです!」

「〇〇先生いらっしゃいますか?」

から始まり、その後にも台詞があったと思います。私は入室するまではよかったのですが、そこから先に進めませんでした。まず最初の「イチネン」が声にして出せないのです。すると

「つったってないで何か言え!」

と先生に指摘さるのですが、それでも一言も声が出ないので「もう一度やり直せ!」と言われ、廊下に出て最初からやり直し。再びノックして入るのですが、やはり声がでません。プレッシャーで頭が真っ白になり、脂汗をかきながら全身に力を入れて、酷くどもりながらなんとか名前を言い切ったと思ったら、

「何言ってんのかわかんねーよ。自分の名前も言えないのか!」

と怒鳴られまた最初から。そんな事を4~5回繰り返したでしょうか。最後にはあきれ顔で笑いながら「もういいよ。こっちにこい!」と言われ、書類にハンコをもらったことがありました。

この時は本当にこたえました。これからもこんなことがずっと続くのかと思ったら、将来に希望など見えなかったし、こんなに辛い思いをしてまで生きたくないと思ったので、本当に生きる事を止めてしまいたい思いが頭をよぎりました。

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人はどんなことに幸せを感じるのか

吃音によって嫌な思いをするたびに、なぜ自分は生きなければいけないのか?生きる目的は何なのか?という疑問の答えを考えることがあります。結局、何をやるにしても辛い思いをするだけなので、波風立てずに無難に過ごして人生を早く終わらせたいと思うこともありました。しかし人間は本能的に生きようとするので、本音ではせっかくこの世に生まれてきたのだから、幸せな人生を送りたいという思いが、やはり心のどこかにあるものです。

吃音があると日常生活で、嫌なことや辛い経験をすることが沢山あるので、嫌なことや辛いことばかりが記憶に残りますが、それでも日常生活の中には嬉しいこともあります。私が日常のなかで感じる最も嬉しい瞬間は、人から「ありがとう」の言葉を頂いたときです。

「ありがとう。助かったよ。」

そんな言葉を掛けられながら感謝されることが私はとても嬉しいし、そんな瞬間に生きている喜びを感じます。

人が生きる目的とは何か

人は思い描いた理想の自分が実現できないときや、自分の願いが叶わないときに、生きていることが辛いと感じます。吃音と共に歩む人生は、笑われたり、からかわれたり、避けられるなど、辛い思いをすることが沢山あります。そんなとき、吃音を治したいという願いがこみ上げてくるでしょう。ただしあまりにも吃音を治したいという願いが強いと、いつか願いが叶わない現実に絶望し、生きることが辛くなります。

私は中学生の頃、吃音を笑われたり、バカにされたり、いじめられたり、暴力を振るわれたり、心が傷つくことが沢山ありました。しかし負けるだけでは悔しいので、自分を認めさせるために、自分にできる事を精一杯行ないました。例えば私は足が速かったので、学園祭のクラス対抗リレーで何名か抜いて順位を上げたり、新聞委員として学園祭で壁新聞を作って一位にもなりました。壁新聞の作成で私はリーダーを務めたので、一位を取れたことでみんなに祝福され、またクラスのみんなに喜んでもらえたことが、今では良い思い出となっています。

当時は見下されることが嫌だったので、どうすれば自分の価値や存在を認めさせられるかを考えていたので、みんなを喜ばせようとは思っていませんでした。しかし今になって思えば、自分にできることを精一杯行ったことで、人の役に立てたし、感謝されて、喜んでもらえて、そしてそれが自分の喜びでもありました。人は自分の欲を満たすためではなく、人に必要とされ、人に感謝され、人の幸せのために生きることが最高の幸せだし、人からありがとうの言葉をもらうことが生きる目的であると私は思います。

吃音を悲観する必要はありません。たとえ吃音であっても、人に必要とされる自分であれば、笑われたりバカにされることはありません。むしろ頑張りを認めてもらえて「吃音でも頑張ってるね」と応援してもらえます。吃音で生きることが辛いと感じたら、理想の自分(吃音が治り、スラスラ話せる自分)を追い求めるのではなく、人のために何ができるかを問うことで、きっと自分が幸せになれる方法に気が付くことでしょう。

記事のまとめ

  1. 吃音者が苦しむ原因は、吃音者が「話せる人」として生活しなければならないため。
  2. 吃音を治したいという願望(意識)が強いと、生きることが辛くなる。
  3. 人に必要とされ、人に感謝され、人の幸せのために生きることが人生の幸せ。
  4. 人からありがとうの言葉をもらうことが生きる目的。
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カミングアウト

吃音を認める、吃音を受け入れるとはどういう事か

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吃音が出やすい相手と出にくい相手の違い

もし吃音を直す方法があるとしたら、吃音に悩んでいる人の殆どがその治療を受けるでしょう。薬で吃音が治るのであれば、どんなに高額な薬であっても手に入れるでしょうし、外科手術で治療できるのであれば、きっと痛みを我慢してでも手術を受けることでしょう。

しかし残念ながら今のところ、そのような確立された治療方法はないようです。そのため呼吸法だったり様々なテクニックを用いて、声を出しやすくする訓練(治療)が行われているようです。ただし吃音は声の出し方が悪くて起きるのではなく、精神的な心の状態によって吃音の症状が酷くなったり、調子がよくなったりするものです。

例えば私の場合、話していて吃音の症状がすごく出てしまう人と、割とスムーズに話せる人がいます。その違いは、話し相手が私に対して先入観なく心を開いてニュートラルに接しているか、それとも遠慮ぎみに接しているかによって、私の吃音の症状は変わってきます。相手が私に対して身構えていると、私も相手に対して身構えてしまい、すると吃音が出やすくなります。本当は相手に対して何も意識しなければいいのですが、どうしても相手の心を察知してしまうのです。したがって吃音の症状を抑えるには、テクニックではなく自分の心をコントロールする必要があると考えています。

吃音が記憶に残り続ける理由

吃音は自分の心が生み出していると私は考えています。「どもったらどうしよう」とか「笑われたら嫌だ」など、吃音を意識すればするほど吃音は酷くなります。何も意識しなければ吃音は出ないのかも知れないし、吃音に関する記憶だけを消すことができれば、吃音は治るかもしれません。

しかしその場になると頭に浮かんできてしまうのが吃音です。大勢の前で恥ずかしい思いをした。人に笑われた。からかわれた。変な目で見られた。そのような辛い体験ほど深く記憶に残ってしまいます。すると同じような場面に遭遇した時、過去の辛い体験がフラッシュバックして「どもったらどうしよう」とさらに不安になってしまいます。

「過去の辛い体験や失敗」→「不安になる」→「また辛い体験をする」

この悪循環が吃音をますます悪化させ、症状が改善しない一番の原因です。ましてや人と話をするたびにこのスパイラルに襲われるので、心が休まる暇がありません。私はコンビニへ入るのも不安です。「お弁当温めますか?」と聞いてくる店員さんに「このままで大丈夫です」と答えられるか想像するだけで不安です。

本来、記憶は自分を守るために残るので、辛い経験や嫌な印象を受けたときほど記憶が強く残ります。したがって吃音に関する記憶が残らないようにするには、吃音の失敗や辛い出来事を嫌な事として捉えなければ記憶に残らないはずです。時々吃音が治ったという人がいますが、そんな人の中には、自分が吃音であったことすら忘れかけている人がいます。辛い事、嫌な事として認識しなければ、自分が吃音であったことさえ忘れてしまうようです。

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吃音を受け入れるとは具体的にどういうことか

自分の中で吃音は「恥ずかしいもの」「隠したいもの」「治したいもの」という認識でいると、吃音が出た時のことが嫌な事として記憶に残ってしまいます。したがって、恥ずかしい、隠したい、治したいという感情を抑えて、何も感じないようになることが吃音治療が目指す最終的なゴールであると思います。

ただしそうは言っても簡単に自分の感情を抑えたり、辛い体験を記憶から消すことなどできません。そこで吃音を克服するために、まず「吃音を受け入れる」という発想が大切です。受け入れるとは自分が吃音であることを受け入れて、周囲の人へ吃音について自ら伝えることです。

私は上手く話すことができません!

言葉がつっかかって上手く話せないんです!

私は吃音なんです!

そんな今まで心の奥に閉まって決して人に言えなかった自分の本当の気持ちを、友達、家族、学校の先生、上司、職場の同僚など、周囲の人へカミングアウトしてしまうのです。自分の本当の気持ちを人に伝えられるようになると、吃音に対するネガティブなイメージが少しずつ薄れてきます。すると「どもってもいい」という感情が湧いてきます。

だれだってなりたくて吃音になったわけではありませんし、吃音で苦しんだ人は皆さん様々な努力をしてきたことでしょう。それでも吃音が改善しないんだから仕方がないじゃないか!自分のせいではない!そんな開き直った気持ちになって、吃音の苦しさ、大変さ、辛かったこと、悲しかったことをカミングアウトして、ありのままの自分を周囲に知ってもらいましょう。私は会社員時代、思い切って朝礼時に職場の人の前で吃音について話したことがあります。それでも上司も同僚もそれまでと同様に接してくれましたし、私は気持ちが楽になり「どもってもいいや」という意識に変わりました。

カミングアウトは、勇気がいることですが、それをきっかけに吃音に対する向き合い方が変わるはずです。まず吃音を認める。そして吃音を受け入れる。チョッと勇気を出してカミングアウトすれば、きっと「どもってもいいや」と前向きな自分に変われるはずです。

記事のまとめ

  1. 自分の心をコントロールすることで吃音を改善に向かわせることができる。
  2. そのために自分が吃音であることを受け入れて周囲の人へ吃音について伝える。
  3. 周囲の人へカミングアウトすることで、どもることの不安が和らぐ。
  4. 自分の本当の気持ちを隠さずオープンにすることが吃音を改善する第一歩。
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吃音を語れるようになったきっかけ

私が吃音に向き合えるようになれたきっかけ

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吃音について語られた、ある一冊の本との出会い

私は自分の吃音に向き合うことを避けていました。正直なところ、今でも自分の吃音を直視したくありません。吃音である自分が嫌で嫌で仕方がないのです。だから臭いものに蓋をするように、吃音の話をすることを避けていたし、吃音であることも認めたくなかったし、吃音であることが恥ずかしいと思っていました。

そんな吃音に対するネガティブな思いが変わりはじめる”出会い”がありました。数年前、ある新聞社のサイトで紹介されていた一冊の本の書評に目が留まったのです。それが九州大学病院の医師、菊池良和先生の著書『ボクは吃音ドクターです。』でした。

本と出会ったころ、私はもうすぐ40歳という人生を折り返すタイミングを迎えており、ふとした時間に自分の半生を振り返ることが多くありました。すると私の人生には常に吃音が付きまとい、そして吃音を言い訳に様々なチャレンジから逃げてばかりであったことを後悔し、反省していました。

「自分の人生なんだから、やりたいことをやって、もっと主体的に生きればよかった。」

そんなことを思いながら、これからの生き方について考えていたときに『ボクは吃音ドクターです。』に出会いました。

吃音なのに人と話す仕事だなんて

書評の見出しを見て、最初は読むことを躊躇しました。それほど吃音に向き合うことが嫌でした。しかし自らの吃音についてオープンに語れることが凄いと思ったし、吃音を改善するヒントが得られるのではないかという期待もあり、購入してみることにしました。実際に読み進めてみると、私は二つの大きな衝撃を受けました。

まず一つ目は、菊池先生は吃音であるにも関わらず医師として多くの患者さんと日々コミュニケーションを図っていることでした。

私は自分の吃音が恥ずかしかったので、他人に吃音であることを知られたくありませんでした。だから人との会話を避けていたし、ましてや人前で話すような場面は全力で避けていました。だからほかの吃音の方も私と同じように、積極的な会話や人前で話すことは避けるであろうと思い込んでいました。

しかし菊池先生は吃音でありながら、患者さんと会話する医師という仕事を選ばれた。本の中で書かれていますが、待合室にいる患者さんの名前をマイクで呼ぶことに苦労されたようですが、私だったらそのような仕事は絶対に避けます。だから同じ吃音でありながら、吃音を受け入れ、吃音に向き合っている人がいることがとても衝撃でした。

そしてもう一つの驚き。それは、菊池先生が感じている吃音の辛さや不安が、普段私が抱いていた感情とまったく一緒だったことです。まるで私の心を見透かされ代弁されているかのように、本に書かれている吃音に対する思いと私の思いが一致していました。その時、私だけが特別な存在ではなく、同じ思いを抱いている人がいることに救われた思いがありました。辛いのは自分だけではないと。

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人生の結果や幸福、不幸に吃音は関係ない

自分一人で吃音の解決策を見出すことは、とても大変なことでした。特に子供の頃は、どうすれば吃音を直すことができるのか、そればかり考えていました。しかし次第に吃音について考える事も触れることも嫌になり、やがて吃音を隠し避けるようになりました。そんなおり菊池先生の本に出会ったことで、吃音の悩みを解決するには、まず吃音を受け入れること。吃音を避けたり隠すのではなく、吃音に向き合い受け入れることが必要であることに気が付きました。

また、たとえ吃音であっても人生はいかようにもなることも学びました。同じ吃音であっても、菊池先生は医師。私は平凡なサラリーマン。人生の結果(仕事、お金、恋愛、仲間)であったり、幸福や不幸に吃音は関係ないことに気が付きました。吃音と言うひとつの事柄に対して、それを言い訳にして出来ない自分を正当化して楽をするか、それとも受け入れて向き合い、生きる糧とするのか。吃音の捉え方次第で人生の可能性は大きく開けることに気が付かせてもらいました。

そうして少しずつ吃音を受け入れられるようになったことで、吃音で辛い思いをされている方や、悩みを抱えている方の手助けをしたいという思いが湧いてきました。私は物心ついた頃からすでに吃音の症状がありました。吃音とともに学生生活を送り、吃音とともに約20年間サラリーマンとして勤めてきました。初めにもお伝えした通り、私は人との接触を極力避けてきました。だからアドバイスできることは少ないかも知れません。それでも吃音に悩んでいる方へ何かお伝いできることがあるのではないか?そんな思いで、吃音に悩まれている方へ向けてメッセージを発信することにしました。

菊池先生が、私の吃音に対する向き合い方を変えてくださったように、私も例え一人でもいいから吃音に悩んでいる人を励ますメッセージが届けられたらと思っています。

記事のまとめ

  1. 吃音の解決には、吃音を受け入れて向き合うことが大切。
  2. 人生で得られる幸福や訪れる不幸と吃音は関係ない。
  3. 吃音に対する考え方ひとつで、人生の可能性は大きく開ける。