5Mar
吃音を治したい。吃音を意識し始めた小学生のころ
吃音は、話す言葉が決まっているとどもりが酷くなりますが、話しにくい言葉(単語)を避けて、発音しやすい言葉を選べる日常会話は、割とスムーズに話すことができます。そんなこともあり友達とは割とスムーズに話ができたので、小学校入学後は幸いにも友達を沢山作ることができました。ただし小学校へ入学すると、人前で意見を述べたり、教科書を読んだり、否が応でも自分の吃音を強く意識する場面が増えます。声がスムーズに出ないと肉体的に辛く、また周囲の反応も気になりだすので精神的にも辛く、吃音であることが恥ずかしい。だから吃音を隠したい。そして吃音を治したいという願いが、学年が一つ上がるたびに強くなっていきました。
学校生活最大の恐怖は国語の授業
吃音には主に、最初の言葉を繰り返してしまう連声型と、最初の一言目が出なかったり、一言目以降続かない無声型がありますが、私の小学校時代は基本的に無声型でした。普段は割と普通に話せるのに、人前に立つと話せなくなるので、クラスの友達は私が緊張して話せないのだと思っていたかもしれません。
緊張しないでゆっくり話せば大丈夫だよ。
女子からそんなアドバイスを受けたことが何度かありました。確かに人前に立つと緊張します。しかし緊張するからどもるのではなく、どもるから上手く話したいとか、恥ずかしいからどもりを隠したい。そして失敗したくないというプレッシャーが自分をより緊張させて吃音を酷くしていました。中でも特に緊張する時間が国語の授業でした。
教科書を読まされるんじゃないか。
そんな「恐怖」に怯えながら国語の授業中は、ひたすら自分の名前が呼ばれないことを祈っていました。
国語の授業は自分の恥ずかしい部分をさらす辛い時間
国語の授業が始まると、いや、前の授業の終わりのチャイムが鳴ると、一気に緊張感が高まり心拍数も急上昇していました。いざ授業が始まると、教科書を読まされることがないように、ドキドキしながら祈り続けるしかありません。教科書を読むのは、日付と同じ出席番号の人だったりするので、自分の出席番号と日付が同じ日に国語の授業があると、登校する前から緊張していてドキドキしていました。軽い運動を休みなく何時間も続けている感じです。
今日は〇日だから、出席番号〇番の男子読んで!
案の定、恐れていたことが起こるとドキドキはピークに達っし、まるで全速力で走っているかのようです。怖くて教科書を持つ手に力が入らないし、足は小刻みに震えていました。いざ読み始めようとすのですが、最初の一文字目から声にして出せない。ようやく声になって読み進められそうになっても、次の漢字の手前で再び声が出なくなるので、読み進めることができません。
漢字は読める。でも声にならない。このままでは先生のフォローが入る。周囲からは、きっと漢字が読めないんじゃないかと思われる・・・。
そんなプレッシャーで焦り始めると、やはり先生のフォローが入り、漢字の読みを教えてくれます。それでも数秒の間が空き、何とか声になって読み進めるのですが、すぐに次の漢字で引っかかる。
他の友達だったら数十秒で読み終えるたった2~3行を、私は2分も3分も掛かって読んでいました。あまりに時間がかかるので、教室内が少しざわめきだすと、先生から「静かに!」と声が掛かるのですが、そんな状況が恥ずかしくて、更に大きなプレッシャーとなりました。
何とかひと段落を読み終え、次に読む人の名前が呼ばれて私は椅子に座るのですが、手も足も震えてるし体は汗だく。周囲に漂う微妙な空気が恥ずかしくて、教科書を読み終えるたびに、逃げ出したい気分でした。しかしそんな私に対して友達は、読み終わった直後でも何事もなかったかのように接してくれました。それがとてもありがたくもあり、恥ずかしくもありました。
こうして授業の終わりを告げるチャイムが鳴ると、一気に解放感に包まれました。受験のテストが終わった時の解放感に似ているかもしれません。そんな状況が学生時代まで、毎日のように続いたのでした。
初めて吃音に向き合えた担任の先生との出来事
学年が進んでも、国語の授業での音読や日直の号令。それにクラス内で意見を述べる時など、吃音が改善する様子はありませんでした。周囲の友達や先生も私の吃音に気が付いているんだけど、その事にどうやって触れていいのか。または触れてはいけない事なのか分からず、なんとなく触れずにしておこうという雰囲気を感じていました。
どうしてそのような話し方になるのか、友達から聞かれることはなかったし、吃音について担任の先生と話すこともありませんでした。しかし唯一、6年生の時の担任の先生が私の吃音に向き合ってくれました。
あるとき、クラス全員が担任の先生と個別に面談することになり、毎日数人ずつ放課後に残って先生と面談を行う機会がありました。私も他の友達数名と放課後に残って担任の先生と面談を行いました。そこで先生から、
どうしてああいう話し方になるんだろうなぁ~?
普段は普通に話せるのにな!不思議だなぁ~。
と私の吃音について話始めたのです。私が相談を持ち掛けたのではなく、突然吃音について話始めたのでとても驚いたのですが、驚き以上に先生は私のことを見てくれて、気にかけてくれていたことがとても嬉しかったし、先生が吃音を理解してくれていることが分かったことで、
先生の前では、どもっても大丈夫。
そんな認識に変わることができました。それまで吃音について誰にも相談できずに、どうしたらいいのか分からず一人で悩んでいましたが、吃音を理解してくれる人がいることが分かっただけで、心の奥の重荷が解けて何とも言えぬ安心感がこみ上げてきました。
その後、先生は様々な場面で配慮してくださり、卒業式の卒業証書授与のさいは、
名前を呼ぶけど、返事ができなければ立ち上がるだけでいいから。
と事前に声を掛けてくれましたが、本番では良い意味で先生を裏切ることができました。
先生と吃音について語り合うまでは、どうしたら吃音を隠せるか。吃音が出ないようにするには、どうしたらいいのかばかり考えていました。しかし例えナーバスな問題であっても、避けるのではなく確り向き合い、受け入れることで、問題を解決へ導くことができることを先生は教えて下さいました。当時は気持ちが楽になったことが、とにかく嬉しかったですが、いま振り返るととても大切な生きるためのヒントを学んだように思います。
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